2014年7月10日木曜日

センチメンタルな旅・大阪万博公園

2011年3月11日、東京発の深夜バスに乗って私は大阪へ旅立つはずだった。
しかしその日バスは走らなかった。新幹線、鉄道各線も全線不通になった。
他に大阪へ行くすべを知らなかったし、すべがあっても、もう大阪旅行どころではなかった。

今のところ本文とは関係ありませんが、関西土産の定番・赤福の画像をご覧ください

あの日から、世の中の見え方が少し変わった。
北朝鮮を他人事のように笑っていた日々は終わったのだなと本気で思った。
今まで当たり前のように思っていた都市の日常生活を支えていた電力と電力事業は、あまりにも脆いものだと知った。
当時東京に住んでいた私の生活は、地方住民の危険の上に成立しているということを目の当たりにした。
いや、もうだいぶ前から「この生活は今だけのものだ」という予感はあったのかもしれない。
でもずっと気がつかないふりをしていた。
3月から7月ぐらいまでは、冗談でも何でもなく、映画「エスケープフロムLA」で文明がリセットされたあとの世界を生きているような、そんな心地がした。

兎にも角にも、大阪へ旅立つことは、あの頃の感傷的で投げやりで疑心暗鬼で自省で悶々とした日々を、否が応でも思い出すことになる。


ズドーン!太陽の顔

大阪について最初に訪れたのは吹田の万博公園。
圧倒的で絶対的な存在感を誇る、大大大好きな岡本太郎の「太陽の塔」とはおよそ7年ぶりの再会となる。
現代文明が滅び、メンテナンスをする人間が絶滅したあとも、きっとしばらくはこのように雄々しく猛々しく、この地にそそり立っていることだろう。
今日も「太陽の塔」は美しい。畏怖の念を感じるほどに。
でも天気は悪い。「太陽の塔」なのに。



左下の人との対比でサイズ感が伝わるだろうか。
とにかく太くてデカイ。
わけがわからない。

ここで作者・岡本太郎が語った言葉を引用したい。


太陽の塔が作られたころは高度成長期の絶頂で、日本中が進歩、GNPに自信満々の時代だった。
そこへ万国博。恐らく全体が進歩主義、モダニズム一色になることは目に見えていた。
そこで私は逆に時空を越えた絶対感。馬鹿みたいにただどかんと突っ立った「太陽の塔」を作ったのだ。
現代の情報への激しい挑みの象徴として。

2011年3月の感傷的な日々を経て、さらにこの太郎の言葉が脳に直接響いてくる感じがするのだけれども、皆さんはどうお感じでしょうか。



裏にある顔「黒い太陽」は過去を表しているという。
「EXPO'70パビリオン」の展示で見た解説によれば黒い太陽は煉瓦でできている。
煉瓦造りの顔が完成した暁に、太郎はこの黒い太陽の口にビールを注いで祝ったらしい。
岡本太郎。お茶目なおじさんだぜ。




1日目の午後は万博公園内にある国立民族学博物館、通称「みんぱく」へ。

館内にはオセアニア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアの各国々から収集された膨大な生活用品、神事用イコン、神具、仏具、祭事用祭壇、仮面などが所狭しと並ぶ。

まずオセアニアのチェチェメニ号という遠洋航海用の巨大なカヌーに目を奪われる。
また動物の皮革が香ばしいモンゴルのパオや、青森のねぶた祭の山車、長野県の伝統的日本家屋などの巨大な展示物がほとんど実物大で展示してあるのも見ものだ。

世界各国の民俗芸能や祭事などの資料映像も豊富、というか超膨大で、一つ一つが非常に興味深いので、とてもじゃないが一日で回り切れるような場所ではない。

グローバル化が進む国際社会を目の当たりに感じる昨今、世界の国々に住むそれぞれの民族の多様性と生活の息吹をこのように感じとる時間を持つことは、現代人として非常に重要なことだと思う。
とくに人類進歩の象徴の一つでもあった原子力発電事業、電力事業そのものの脆弱さや核の平和利用という名目のあやしさを目の当たりにした2011年以降、経済至上主義について一旦立ち止まり、よくよく考えることが重要であるように思う。

とか考えたりしながら、日程の都合上2、3時間しか滞在できないことを悔やみつつ、みんぱくをあとにした。


みんぱくのおみやげは「世界を集める 研究者の選んだみんぱくコレクション」と「太陽の顔」ハンドタオル。

本当はみんぱくレストランでガパオとかパッタイとかのアジアンフードを食べるつもりだったのに、気がついたらラストオーダーの時刻を10分すぎていて、レストランは閉店していた。
悲しかった。
昼ごはんを食べる時間を惜しんでみんぱくまで急行した。
だから昼ごはん抜きだった。
とにかく悲しかった。



万博公園駅へは「大阪モノレール」でしか行けない。
「大阪モノレール」の文字を見るたびに「オオサカモノレール」というバンドを思い出す。
モノレールの高架下をくぐって最寄りのホテルへと急ぐ。


目からビームがビカーン!

夜。
2010年から光り始めた黄金の顔の目をホテルの窓から眺める。
日没から23時まで点灯している。
これが見たかったんだよー。だからこのホテル取ったんだよー。
なのにあのメモなんなんだよー……

ホテルに泊まったら絵画の裏は絶対に見ない方がいい



目玉男と化す親子

翌日は「EXPO'70パビリオン」へ。
万博開催当時から唯一現存している「鋼鉄館」を利用した万博記念ミュージアムである。

まずは巨大な「初代:黄金の顔」と対面する。
現在の太陽の塔のてっぺんに鎮座する「黄金の顔」は二代目である。
初代の目の中に入ることもできる特別展「みる・ふれる・あそぶ 太陽の塔」は8月3日までの開催が予定されている。
これであなたも8日間右目部分に籠城した赤ヘルの“目玉男”気分に!!

不謹慎?だって公式ポスターにも「初代:黄金の顔をアイジャック?」って書いてあるし…



EXPO'70パビリオンの常設展から。
万博イメージソング「世界の国からこんにちは」のレコード集。
「世界の国からこんにちは」を歌った歌手が三波春夫だけでなかったことを初めて知って驚愕した。
ここには西郷輝彦(辺見えみり父)と倍賞美津子(アントニオ猪木元嫁)というビッグネームがリリースしたレコードとともに「〜修二」という大事な名前が隠れてしまって誰だかわからないレコードも一緒に展示されていた。
 「〜修二」。誰なんだ?


万博ポストカードセットは開催当時のもの。


入場者数ナンバーワンの大人気パビリオン・ソ連館の模型。
ダウンタウン・ジェネレーションの自分的には「俺の親父、ソ連館塗ってん(©浜田雅功)」でインプットされているあのソ連館だ。
確かに塗装しがいがありそうな出で立ちをしている。



「丹下健三と時代の進歩主義的空気 VS 岡本太郎と絶対的存在感を誇る太陽の塔」の図式が浮かびあがる会場模型。
大阪万博のテーマである「人類の進歩と調和」の「調和」を乱す不穏な空気が漂ってきそうな模型に、ただただ興奮してしまう。


今見ても最先端

各国パビリオンを彩ったコンパニオンたちの制服も展示されている。
全くもって古びていないことに唖然とするほかない。
かっこいい!

音響効果が「ズギャーン!!!!!」って感じ


当時のまま保存されているスペースシアター。
鉄鋼館<スペース・シアター>の総合プロデューサーはあの武満徹。
館内には武満徹「クロッシング」(指揮・小澤征爾) 、高橋悠治「エゲン」、ヤニス・クセナキス「ヒビキ・ハナ・マ」などの前衛的な音楽が鳴り響き、美術監督・宇佐美圭司のレーザー光線による照明演出が未来世紀の息吹を感じさせてくれる。

未来世紀って何世紀だ?




水沢の大澤屋にもある、おなじみの手の椅子!5つも!!

大澤屋レポ→芸術が爆発するうどん店・大澤屋



太陽の塔に顔ハメできるパネルも。
しかし誰もいなかったので顔ハメ失敗。


登山記念スタンプしかり、スタンプは見つけたら絶対押す主義だ。
EXPO'70パビリオンでも全部押してやった。



万博公園内でしばし休憩したあと、午後は梅田の街へ繰り出す。
「好日山荘」へ行きたくてグランフロント大阪を目指すが、Google Mapsを持ってしても3度道に迷う。
やはり都会では土地勘がものを言う。
Google Maps、まだまだだな!


一旦グランフロントを諦めて食堂街に寄り、そこで適当に選んで適当に頼んだ「肉ぶっかけうどん」が超絶うまかった。
肉とうどんだけかと思いきや、ゆで卵天としめじ天が入っていた。
うどんのツルツル具合とシコシコ具合がとんでもなかった。

ただ、ボリュームがすごいのと歩きっぱなしだったのとで、食べている最中にも睡魔が容赦なく襲ってきて、途中でうどんの丼に突っ伏して溺れるかと思った。

「梅田 肉ぶっかけ」で検索して上位に出てくる「釜たけうどん 梅田」。
それが例のうどん屋さんだ。
写真は無い。


なんとか無事に肉ぶっかけをやっつけると、グランフロントへと向かった。
無事に好日山荘に辿り着いたがそこでは何も買わず、NORTH FACEとモンベルでウェアを買って気が済んだ。
でもわざわざ道に三度も迷ってまでNORTH FACEとモンベルのウェアを大阪で買う必要があったのかというと、全然ない。


新大阪についてお腹のすき具合も一段落したのでたこ焼き屋を探したけれど、あまり売っていなかった。
「たこ焼き、めっちゃ好きやねん!(増田有華)とか言うわりに大阪ってたこ焼きって売ってないんですね! 」とAKB好きの知人にぶつけてみたところ、
「大阪ではたこ焼きは買うものではなく作るものらしいですよ。なので作ってください」という答えが返ってきた。





前日に目を付けていた新大阪のたこ焼き屋で無事たこ焼きを購入することができた。
しかし自分が想像していたたこ焼きとは形が全然違った。
こうして写真に撮ると全くもって美しくない。
外カリ中フワでもなく、全フワだった。
たこ焼きはまん丸であってほしい。そして外はもう少しカリッとしていてほしい。そう思った。



関西のお土産といえば「赤福」。
辻利の抹茶わらび餅を買おうと思っていたが忘れてしまい、家族には赤福を買って帰った。


結論。
途中、ところどころで神妙な心持ちにはなったが、ホテルでの珍事件(ホテルに泊まったら絵画の裏は絶対に見ない方がいい)でいろいろ吹っ飛び、あんまりセンチメンタル・ジャーニーではなかったかもしれない。

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