2014年11月5日水曜日

【2日目】燧ヶ岳ソロ登山(長英新道〜俎嵓・柴安嵓〜御池)

というわけで2日目。
尾瀬沼東岸・長蔵小屋を出発して長英新道(別名、燧新道)を通り、双耳峰・俎嵓(まないたぐら)と柴安嵓(しばやすぐら)のピークに立つ。
下りは福島側の登山口・御池(みいけ)方面へ降りる。
登り下りを最短時間に抑えるため、出発地の群馬には戻らず、このような変則的なルートを取ることにした。

ルート、コースタイムなど→【1日目】燧ヶ岳ソロ登山(鳩待峠〜尾瀬ヶ原〜尾瀬沼)

幻想的な霧の尾瀬沼


早朝の尾瀬沼からは蒸気霧が立ち昇っていた

早朝6時の尾瀬沼。山々に薄く朝日が差し、湖面からは「蒸気霧」が立ち昇る。
草木についた朝露は凍りつき、霧氷となっていた。


以前山の雑誌で読んだ情報によると、寒気が温かい水面に触れることでできるのが「蒸気霧」で、暖気が冷たい水面に触れてできるのが逆の「移流霧」なのだそうだ。
初冬も近い尾瀬の湖畔で朝をむかえる小屋泊・テン泊の者だけが、この幻想的な霧の風景に遭遇することができる。
東北・首都圏などからも日帰り可能な距離にある尾瀬だが、やはりこういった貴重なひとときを過ごすには尾瀬内の山小屋やキャンプ場に宿泊すべきである。


霧氷ごしの燧ヶ岳


枯れたワタスゲを霧氷が覆う

枯れたワタスゲを霧氷が覆う。




霧氷のすすき野原と朝日を浴びた燧ヶ岳

一面霧氷のすすき野原のむこうに、朝日を浴びて輝く燧ヶ岳が見えた。
待ってろ、燧‼︎


静かなる、ぬかるみの長英新道


ぬかるみの長英新道を行く

尾瀬の象徴である平野家の二代目・長英氏が開拓した「長英新道」(別名 燧新道)を登っていく。
山と高原地図にも書いてある通り、ゆるやかだがぬかるみが多い道だった。
ちょっと前に初冠雪した影響で、道は容赦なくぬかるんでいた。

一方、尾瀬の開祖である長蔵翁が開拓したナデッ窪は、雪崩を意味する「ナデ」の通り岩場も多く急峻な難路だ。
しかし岩登りが得意な健脚に自信のある人ならば一気に高度を稼ぐことができる。
またぬかるみに足を取られることもないので、長英新道よりも歩きやすいと評する人も多いらしい。

脚力に自信のない私は長英新道を選んだ。
相部屋で、私と同じくこの日燧ヶ岳の頂上を目指した若い女子のSさんはナデッ窪ルートを選んだ。
私たちは別々にソロ登山を楽しんだが、柴安嵓頂上手前で運良く合流することができた。

Sさんによるとナデッ窪ではけっこうな人数の登山者に遭遇したらしい。
一方私が選んだ長英新道では人にあまり会わなかったので、たえず熊鈴を鳴らして熊を警戒しないといけなかったくらいだった。

おそらく今年は見晴から燧ヶ岳の唯一のルートである「見晴新道」が昨年の台風の影響で通行止めになっていたので、沼尻まで出てナデッ窪から登る人が増えたのだろう。

晩秋の陽射しがジリジリと背中を焦がす


山々の稜線と、いまだ霧が立ちこめる尾瀬沼を見下ろす

途中途中にある「一合目」「二合目」などの控えめな看板がモチベーションを上げてくれる。
この写真は5合目か6合目あたりで撮影したものだ。
展望のない木陰道からようやく脱出し、周囲の山々の稜線と、いまだ霧が立ちこめる尾瀬沼が見下ろせるようになった。

6合目を過ぎたあたりから背中がジリジリと焦げ付くような熱さを感じはじめた。
この日も前日同様に雲一つ無いピーカンなお天気で、かなり暑かった。
あと二週間もたてばこの尾瀬は無人となり、およそ半年の冬の世界に閉ざされることがまるで嘘のように、暖かな陽射しが容赦なく私の背中を焦がし続けた。
気分はカチカチ山だ。


枯れたワタスゲ

季節要因もあるが、花の多かった至仏山(至仏山、ソロ登山)と比べると燧ヶ岳には草花の影がほとんど見当たらなかった。
尾瀬沼でも見かけたこの時期見られる数少ない高山植物のひとつ、枯れたワタスゲの姿を再度見つけてうれしくなった。

初冠雪が残る日陰道

先日の初冠雪が残る日陰の道を一気にのぼると、前方が急激に明るくなってきた。
森林限界が唐突にやってきたようだ。
少し凍結した部分もある急峻な木製の階段を、はやる気持ちを必死で抑えながら慎重に登る。

第一のピーク「ミノブチ岳」


ミノブチ岳頂上からの尾瀬沼

長英新道入口からおよそ2時間ほどで一つ目のピークとなる「ミノブチ岳」に到着。
森林限界が近いため、あまりに唐突すぎる山頂の出現にテンションが上がった。
時刻は8時半となり、湖面の霧はすっかり晴れてきた。

しかし「ミノブチ岳」などと書かれた三角点標石が見当たらなかっため、ここが確かにミノブチ岳なのか、実はいまだによくわからないのだ。


ミノブチ岳から見た俎嵓


次に目指すはあの頂上、俎嵓だ。


ミノブチ岳頂上を見下ろす


頂上が近くになるにつれ、足場に迷う大きな岩だらけになってきた。
ちょっと見下ろすと思いの外高度感があり、心臓がバクバク言い始めた。

緊張感をときほぐすため、少し休んでさっきまでいたミノブチ岳頂上を見下ろす。
だが登山道がだんだん混んできたのと、すれ違いも困難なくらい狭くなってきたので、ずっと休んでもいられない。
意を決して頂上を目指した。

第二のピーク「俎嵓」(まないたぐら)は大混雑


俎嵓山頂の石祠

ついに俎嵓に到着。
これが長蔵翁が担ぎあげたという石の祠なのだろうか。

狭い山頂には人が溢れかえり、大学生のワンゲル部的なグループもたくさんいた。
人混みに少し安心して緊張の糸が切れたせいか、一瞬「岩登りはちょっと怖いし、もう柴安嵓には行かなくてもいいかな…」などという消極的な考えが頭をよぎった。

俎嵓から柴安嵓を望む


休憩もそこそこに、人混みの中を無意識のうちに柴安嵓方向へ歩き出していた。
柴安嵓の向こうに待っている尾瀬ヶ原と至仏山の絶景に引き寄せられたのだろうか。
ふと我に返って、またあの怖い岩場を登り返さないといけないんだよなあ、嫌だなあ。なんて思いながら。

凍結する柴安嵓山頂前


尾瀬ヶ原と至仏山を眺めつつワンゲル部っぽい子たちについていく
尾瀬ヶ原と至仏山を眺めつつワンゲル部についていく


先に進むワンゲル部らしいグループの方から「ウオー!」「ヒィー!」「ギャー!」などと断続的に雄叫びや悲鳴が聞こえてきた。

「俎嵓と柴安嵓のあいだは北面なので岩場が凍結しているから気をつけてね!!」

ソロの女子部屋で、前日御池から燧ヶ岳を経由して尾瀬沼に来た女性がそう教えてくれたことを思い出した。
とくに「平たい斜めになった大きな岩には要注意!」とのことだった。

通過中、まさに「コレのことだな!」と思える場所があり、細心の注意を払ってはみたが、やっぱり滑った。
ただ注意はしていたので、地味な滑り方で事なきを得た。

やはり初冠雪を知った時点でスパイクぐらいは買っておけばよかったな、なんて思ったけれども後の祭りだ。
とにかく慎重に慎重に歩みを進めた。

燧ヶ岳山頂に立つ!


凍結した岩場に肝を冷やしながら、なんとか柴安嵓の頂に立った。
柴安嵓は俎嵓と違って頂上が広々としているので、ゆっくりと早めの昼ごはん休憩を取ることができた。

柴安嵓から尾瀬沼を望む
柴安嵓の頂から

俎嵓で下山しなくて本当によかった!!

頂上の少し手前で相部屋女子の一人Sさんと合流し、頂上での休憩中、山関連の興味深い話をいろいろ聞かせてもらった。

Sさん、至仏山で「グレートトラバース」の人に遭遇

Sさんが先日至仏山を登っている時に「グレートトラバース 日本百名山ひと筆書き」の人こと田中陽希氏に遭遇したらしい。
田中さんはテレビクルーとともにとんでもないスピードで風のように去っていったそうだ。
登山というよりトレラン級のスピードでないと、百名山一筆書きなどという前人未到の偉業はこなせないのだろう。
いやはや超人だ。(懐かしのフレーズ、お分かり頂けたでしょうか?)


さらば愛しの尾瀬沼よ!

難儀しながら再び俎嵓に戻る。
そしてもう一度、愛おしさをこめて尾瀬沼を見下ろす。
御池方面に歩みを進めたら、この風景とはもうサヨナラなのだ。
そんな少しセンチメンタルな気持ちになりながらも休憩はせずに、心の中で静かに尾瀬沼に別れを告げた。


凍結!残雪!ガレ場!ぬかるみ!の難路を目安時間オーバーで下る


思った以上に遠かった熊沢田代
思った以上に遠かった熊沢田代


御池の登山道はぬかるみの長英新道とガレ続きの急登ナデッ窪の悪い所を抽出し、さらに岩場と木道の凍結というオマケを足した、最低最悪の難路だった。

傾斜のついた凍結した木道、終わりが見えないガレ場、雪溶けした部分は沼地並みにぬかるみ、その難易度たるや長英新道の比ではなかった。

南面と北面の差分はかなり大きく、下りにして初めて山と高原地図に掲載された所要時間より5〜10分オーバーすることになった。
もちろん疲労がたまっているのが遅れの大きな原因だが、冠雪と凍結の影響が思った以上に大きかった。

ダメレコでも触れたが、App版と印刷版との違いから掲載所要時間への若干の不信感があったが、冷静に考えると雪と疲労で大幅に遅れたと判断するのが賢明だと思う。

熊沢田代を振り返る

御池方面から熊沢田代を見返すと、先ほどは真っ青に見えた二つの池の色が、光の向きのせいなのか、すっかり緑色に変わっていた。

さらっと通りすぎてしまった広沢田代


またもや地図の掲載時間を少しオーバーして広沢田代に到着。
だんだん足が棒のようになり、言うことをきかなくなってきた。

しかもこの美しい風景を前に、私は一回しかシャッターを切らなかった。
それくらい終わらない岩下りに辟易し、疲労困憊のピークに達していたのだ。

御池に到着


13時半ごろ。
疲労困憊はしていたが、予定より約一時間ほど前に御池口に到着することができた。

御池にはロッジというには立派すぎるホテルや入浴施設などもあり、群馬側の入山口の鳩待峠や大清水とは比べ物にならないくらいリゾートリゾートしていてびっくりした。
しかし疲労困憊でシャッターを切るのを忘れたので御池の写真は一枚もない。

このあと驚愕したことがある。
筋肉痛が一週間近く続いたのだ。
ふくらはぎが長らく腫れたように痛くて正座が全くできなかったくらいだ。
そんなことってあるんだ実際…

以上、燧ヶ岳ソロレコでした。

■関連記事

ソロ登山で無いと死ぬグッズ5つ(+1つ)

0 件のコメント:

コメントを投稿